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きみもリトルスター

星の数だけ吐き出したい気持ちがある @com_atcom

「ふざけんなクソ野郎」と思うことについて

 

夜中だしいいかと思っています。

 

 

 

 

 

 

 

わたしは昔から「いい子」だった。

自分でもそう思うほど自信があったし、それ以上に「いい子」でありたいと常に思っていた。

 

 

お母さんに褒められたい、お父さんに認められたい、お姉ちゃんより勉強ができて、友達が多くて…

 

そんなことを考える、可愛くない女の子。

 

 

 

 

小学校の道徳の時間では積極的に発言したりもした。

「この子はどんな気持ちだったでしょう?」というおとなしい先生の問いかけに、手を上げて、それらしい1番優等生な答えを述べた。

 

 

近所の人に対してもそうだ。

毎日ちゃんとあいさつをしたし、笑顔で受け答えして、きっと絵に描いたような「いい子」。

 

 

 

 

ただ、そんな自分に、ふと、どっと疲れていることもあった。

中学生になって、高校生になって、そりゃずっといい子ではいられなかったけれど、なるべく白い線からはみ出さないように生きていた。

 

人に対して、いつもポジティブに、"優しさ"をもって接することこそ美徳だと、そういう人でいたかった。

 

 

 

 

そうなろうと、していた。

 

 

 

 

自分の中に時折芽生える黒い感情は、全部殺した。

 

今も時々おもうけど、わたしは何をそんなに気にしていたのか。誰に対して、そう思われたいと意識していたのか。

 

 

わからない。

 

 

「頭がいいね」

「いい子だね」

 

という大人の言葉に洗脳されて、そうあり続けなければと思っていたのかもしれない。

 

 

 

 

でも、自分が大人になって、初めての職場で。

バイトなんかでは経験できないような、ちゃんとした会社に入社して、その現実に触れたとき、わたしはものすごくショックを受けた。

 

 

約束を守れないおばあちゃん

クレームばかり言うおじさん

居留守を使う高校生の女の子

 

 

 

えっ、世の中には、こんな人たちがいるの?

 

 

って、本当にそう思った。

わたしよりずいぶん年上のあの人も、ずいぶん年下のあの子も、こんな非、道徳的な生き方をしていていいのか!なんなんだ!

 

と、怒りに似たものがふつふつと湧き上がった。

 

 

違うでしょ、人間っていうのは譲ったり譲られたりして、優しい世の中を作っていって…

 

っていう、わたしの正義が自己主張始めながら、同時に散っていく瞬間でもあった。

 

 

 

 

そのときに、初めてわたしは

 

 

 

「このクソ野郎ども!!!!」

 

 

 

と彼らに対して思った。

 

「このクソババア!」

とも思ったし、

「クソジジイめ!」

とも思った。

 

抑制していたわたしが、飛び出してきた。

 

 

 

そうすると、なぜか不思議なことに、心がスッキリする感覚がした。

言いたくても言えなかった、わたしの本当の気持ちを、わたし自信が認めたような。

 

 

 

ああ、わたしは人に対してこんな風に思ってもいいんだ。

細い細い白線からはみ出した足が、ふみ外れずにちゃんと地に着いたような安心感。

 

 

 

わたしは、誰かや、何かに対して

 

「ふざけんなクソ野郎!しね!」

 

 

という下品で、最低最悪の言葉で罵ってもいいんだ。

もちろん、心の中だけだけれど。

 

 

 

 

 

わたしは「いい子」じゃなくていい。

 

負の感情を抱くことに、罪悪感を持たなくていい。

 

 

優しさも、おだやかさも、「いい子」も手にもって、嫌いだなや、気分が悪いや、「悪い子」も手にもって、それで、生きていくことが

 

 

わたしの場合での、自分らしくいきる、につながるのかもしれないと思った。

 

 

 

 

 

負の感情、認めます。